2007年01月16日

PAIO〜N

はい、私、10代の頃はラジオっ子でした。
FMの話はまたの機会にして、今日はAMの思い出話を。

私が最も面白かったAMの3大番組は、パープル・エクスプレス(文化放送)、デーモン小暮のオールナイトニッポン(ニッポン放送)、PAO〜N僕らラジオ異星人(KBC福岡)でした。
どれも90〜91年に終了してしまって私はラジオから離れてしまいましたが(FMのHMシンジケート以外)、この三つは私の10代の大切な時間でした。

この中で、KBCのパオーン。83年から90年の月〜金で21時代から0時半まで生OAされていたバラエティー・ワイド番組。
なんといってもパーソナリティの沢田幸二さん。
とんでもない高速回転する頭脳と、次から次へと飛び出してくる壁破りな超絶トークで、80年代の福岡とその近郊の10〜20代の若者に絶大な人気を誇り、ラジオパラダイス誌で年間ベスト3入りしたこともあるほど圧倒的影響力を与えた素晴らしい名番組にしてしまった御方。
毎回ラジオの前でお腹を抱えて大笑いしてたのは私だけではないはずです。
沢田さんのあのキャラの影響あってか、リスナーのネタの質も非常に高く、しかもくだらなくて面白い。
私は学生の頃バス通をしてましたが、車内で他校の生徒達が昨夜のパオーンのネタの話で盛り上がっている事はしょっちゅうで、実は仲間に入りたかった(笑)。

名物コーナーも数々。
ハニワの部屋、恋の伝言板、学校対抗重箱の隅つつき合い、キャンパス漫遊記、超心理学コーナー・・・と書き始めると停まらなくなりますが、やっぱり「わけありベスト10」でしょう。
これは、リスナーが作った替え歌や自作の曲やコントをテープ録音で募集し、それをOAすることでリクエスト集計やスタッフの独断でベスト10決めするというもの。
この時期の曲が今でも時々頭に浮かぶ事もあります。
これは爆発的な人気のコーナーで、元旦未明に行われていた太宰府の公開生放送でもリスナーにライブ実演してもらって会場で大爆笑するほどの名物でした。
あの頃の作品提供者さんは私と同じ世代の少年少女が殆どだった、ということは、今は30〜40代になってるんですね〜?時間は流れますな〜。みんなどうしてるんだろう?

と、懐かしくなってネットをグルグルしてたら、え?2003年の元旦にパオーンが13年ぶりに一度だけの復活をしてたとは!しかも公開生放送で!! あ〜、行きたかったな〜。かなり人が集まったみたいで同窓会気分だったそうで。くっ悔しい。知らないということは損をするもんですね〜。

今ではお昼に大人向けのPAO〜Nとして復活していて、去年偶然ラジオをつけた時に知って驚きました。
ラジオで沢田さんの声を聴いた瞬間、一気にティーンエイジにタイムスリップして懐かしかったです。
内容は以前の夜番組の頃に比べてゆったりした印象がありますけど、あの涙の最終回ではまさか2000年を越えてお昼に復活するとは思いもしてませんでしたから。

ネットや携帯もなかった当時は、こういった番組はとても楽しみな時間だったと思うんです。
PAO〜Nで言えば、沢田さんが当時の中高生を整列させていたようなそんな感じがしてます。
テレビもある中、夜9時から12時という時間帯で大勢をラジオへ引き込んでたわけですからホントに凄い。
しかも、遠方から電波を拾ってたリスナーも少なくなく、公開放送でもかなり遠くから来てた人もいたと記憶してます。
さらに、当時はメールもFAXもないから葉書や電話&テープ出演が主。葉書はお金と時間差がかかってしまうという、メールとはまた違った送り方でしたし。
あと、ナイター延長で番組が縮まってしまう時はいつもイライラしてましたけど(笑)。

う〜ん、思い出し始めたら停まらなくなりました。
「パシッ!王手」「走れ〜走れ〜志賀島〜♪」「昨日志賀島にUFOが出たげなぜ」「お前猿やないとや〜?」「うじきまんさく」「おさとばあさん」「Return of Dragon」
さ、この日記で果たして当時のリスナーへヒットするのか?(笑)

 閣下がANNの最終回でこう言って終了しました。
「与えられた原稿だけを読むのはアナウンサーだと思うんだ。 パーソナリティーってのは、番組の方針とか放送局の方針とか色々あるけども、そんなの絶対嫌だ、俺は絶対こういう事はやりたい、こういうのは絶対やらない、というのをやっていくのがラジオなんじゃないか、パーソナリティなんじゃないかと思っていた。」
沢田さんはアナウンスとして入社されたそうですが、その枠をぶち破った「パーソナリティー」「タレント」だと私は思ってます。