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下関・西高等学校でコンサート&エレキな体育の先生!

私が中学生(盲学校)の頃に、ギター好きの体育の先生がいました。
河田先生、当時、20代前半の新任教諭。
Charさんみたいな低く太い声で、授業もちょっと怖かったけど、愛のある接し方でした。

私が軽音楽部に入ってバンドをやり始めた頃、先生がレスポールを持ってきて触らせてくれました。
体育館の教官室に案内され、「落とすなよ!」と重たいギターをズシンと。
安価なストラトしか手にしたことがない15歳の田川少年にとって、
初のレスポールが、とっても大きな存在に思えて感激!

先生ももう1本ギターを取り出し、二人でセッションが始まりました。
友達以外とのセッションをしたのは河田先生が初めて。
ブルースコードを教わったりして。

「練習すりゃーうもうなるけー!」
と言われた時は、そうか、「練習しなきゃ上手くならない」より好きな言葉だなーと!
その未来的な表現が印象的でした。スポーツの先生だからかなー。
成毛滋さんのラジオ以外で、初めて目の前でギターのヒントをいただいた時間でもありました。

以降、「勉強しなければ成績が上がらない」→「勉強すれば成績が上がる」
に置き換えて物事を考えられるようになったのは、この時がきっかけの一つかも。

その後、河田先生たちが教員バンドを結成して、文化祭でライブを披露!
喜んで最前列で一緒に歌いながら聴きました。

しかし、時期、先生は他校へ転任してしまい、寂しく、会う機会も無くなってしまいました。

 すると、ふと数年前、私に電話が。
「おー久しぶり。東京で頑張っとるんやね!
ホームページやYoutube見よるよ。
実は、今度、うちの学校でコンサートをやってもらいたいと思ってね。」

わー!河田先生!
電話口で聞こえるCharさんみたいなお声から、あの時のレスポールやブルースコードが一気に思い出されました。
その時は日程が合わずに実現できず、以降、何度かお誘いをいただいていました。
そして、ようやく今年、その機会がかないました!
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 下関の西高等学校で、定時制の生徒の皆さんを対象としたコンサートをしてきました。
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場所は学校の音楽室で、ステージもあり、段差の客席もあって、ちょっとしたコンサート会場。
事前に、河田先生と教頭先生がPAを準備して下さって、
教頭先生が調整されるという稀な経験。

音楽室は4階にあり、階段のみの中、私のマーシャルJVMと1960を
生徒の皆さんが手分けして運んで下さいました。感謝!

そして、校長先生とご挨拶。
マーチンを10数本お持ちで、私のことにもお詳しく、
のっけから山本恭司さんやマイケル・シェンカーの話題で大盛り上がり。
スコットランドでシェンカーと話をしたことがあるという校長先生は初めてでした(笑)。

そんな中、70分ほどのコンサートをさせていただきました。
私が音楽を目指すきっかけの一つに河田先生の存在が大きかったこと、
それ以降に出会った軽音楽部の顧問の先生が、校外での演奏の機会を作って下さったこと、
徐々にギターや将来への思いを深め、進路に悩みながら歩みを決めたこと、
私同様、今興味があることは、ずっと大事に温めてて欲しいこと、
また、見えない生活あれこれの話などを、
ギター、ピアノ、歌を交えながら進めました。

生徒さんは、一生懸命聞いて下さったり、笑ったり、手拍子したり、
中にはどう過ごせば良いか分からない方もいらっしゃったと思いますが(笑)、
一つでも何かを持って帰っていただけたらなーと。

美瑞穂いわく、アンコールで「好きっちゃ 好きなほ!下関」を歌った時に、
原曲のまま踊って下さった保護者の方(?)がいらしてたこと。
どこかのよさこいチームなのかなー?嬉しかったです。

生徒会長さん
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素敵なお花と
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記念品まで頂きました。
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 この機会を作って下さった西高の先生方、生徒の皆さん、お花や記念品のプレゼント、
約30年ぶりぐらいにお会いしたり、駆けつけて下さった他校の先生方、
父兄の方々、サポート下さった皆さん、
本当に、ありがとうございました。
これからまた様々な形でお会いできる日を楽しみにしています。