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今月で東京に来て10年!

東京へ拠点を移したのが2008年8月でした。

当時は出会って2年しか経っていない私たちでしたが、
美瑞穂は、昔からの夢だったテレビ局を退職し、
私は、長年住み慣れた下関を離れるという大決断。

片や直感で動くタイプ、片や石橋を叩きすぎのタイプ、
何度も話し合いを重ね、時には大論争する日もあったものの、
私には、ぶれない美瑞穂の目線が、遠く真っ直ぐを見ていたように映りました。

下関で持ってた仕事はどうしようと今後の不安がいっぱいでしたが、
その熱意から、どこに行っても頑張れそうな気がして。
女性は凄い。(笑)

こうして、10年前の今月、新幹線で東京へ向かいました。
駅のホームには、母と、よさこいの馬関奇兵隊がお見送りに。
父は仕事でしたが、母が二人分のお弁当を、奇兵隊からは、寄せ書きと御餞別を。
「いよいよ旅立ちかー。」とジーンとしながらも、数日したら下関に仕事で
帰る予定だったので、みんなや故郷との別れという感じでもなかったかも。
その時のブログ
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馬関奇兵隊からの寄せ書き

そして、新居での生活が始まりました。
当時は結婚してなかったけど、新婚生活みたいで凄い嬉しかったなーと。
その1か月前に初めて会ってご挨拶した美瑞穂の両親から、
「結婚してるのと同じだよー。」と言ってもらえたのを思い出します。
生活用品や家具を揃えたり、キッチンを整えたり、なんか楽しかった。
その時のブログ  上京後初のライブは渋谷。

 しかし、数週間後、私が「急性喉頭蓋炎」になって救急車で運ばれて入院。
車内で症状を話したくても窒息手前だったのでしゃべれず、
携帯で文字を打って美瑞穂に伝えてもらってました。
すると、いつの間に、救急隊員が病院への電話で、
「全盲でしゃべれない方」と変換して伝えられてしまったり。

病院で、早急に24時間の抗生剤の点滴を打ってもらったおかげで、
あくる日は少し楽になり、塞がりかけて危なかった気道も開通して、
「いやー、先生、随分楽になりました。」
と初めて会話すると、先生や看護婦さんが
「しゃ、しゃべったー!会話ができない障害の方と伺ってたもので。」
あのー、「クララが立ったー」じゃないんですけどー。
入院中のブログ  Mizuhoブログ。 退院が決まった時のMizuhoブログ。

 でも、入院して、真っ先に飛んできて下さったのが、
二井原さんとギターテックの宮崎さんでした。
その時の二井原さんブログ(涙)

退院の日も、二井原さんが美瑞穂を車に乗せて迎えにきて下さって。
今思い出しても、二井原さんの一つ一つの心に胸がジーンとします。
退院の日のMizuhoブログ。
二井原さんのブログ!

 と、上京早々いろいろありましたが、それ以降、様々な縁へと繋がっていきました。

ライブやレコーディングが続き、ミュージシャンやスタッフとの縁、
サマソニ、ラウドパーク、野外フェス、CD「Fly Away」、レコ発、
ツアー、楽器メーカーからのバックアップ、山口ふるさと大使、国体、
田川プロジェクト、サーキットでの国家独奏、ファンクラブ、楽曲提供、
海外公演、結婚…

最初は、3年5年居れるかなーと思っていたら10年。
ここからが面白くなるところにきて、今また、新たな、次のステージへの階段が!

来年は、1STアルバム「Fly Away」から10年なので、
2019〜2020年と、「アニバーサリー企画」をしていきたいと思います!

 この10年やってこれたのも、私の音楽に接して下さった、全ての、
ホントに大勢の皆さんのおかげだなーと、
今月を節目に改めて思っています。
本当に、ありがとうございます。

これからも、ギター持って周っていきますので、
楽しんでいただけるように、皆さんとの時間を作っていきたいと思います。
ますます、ますますますます、宜しくお願いいたします!

そして、皆さんからのエネルギーが意欲となっていること、
また、夫婦共々、大きな病気や事故に遭わず健康でいれること、
両家両親が元気でいてくれることに感謝!!!