ギターのネックを逆から持つ全盲のロックギタリスト。
一般の奏法を見た経験がない環境より、ピアノのような独自の演奏スタイルを確立し、
超高速プレイやメロディアスな独創的サウンドを奏でる。
ライブコンサート、イベント、学校、医療機関での公演を始め、
音楽クリエーターとして、TVやラジオ、イメージソングの作曲を手がける。
2019年 ロサンジェルスにて、東京オリンピック・パラリンピックに向けて作曲した応援ソング『Sky』をレコーディング。
2021年 「東京 2020 パラリンピック開会式」に、布袋寅泰率いるデコトラのロックバンドとして出演。
2022年6月 フランス・カンヌでの「Cannes Lions」にて、楽曲がMVと共に上映。
10月、山口県下関市 海上自衛隊 小月航空基地 アクロバット飛行チーム「WHITE ARROWS」のテーマソングを作曲し、
防衛省 海上自衛隊 YouTube公式チャンネルに掲載。
2023年 デーモン閣下 c/w D.H.C. TOUR『地球魔界化計画』に出演。
2024年 アメリカ・ハリウッドでの国際映画祭2024で上映された映画のテーマ曲を担当。
2025年 大阪・関西万博にて行われた「スポーツ・オブ・ハート」に二日間出演し、
開会式での国歌を織り込んだアレンジをはじめ、カナダのよさこいチームとの大共演、閉会式でのフィナーレソングを担当。
6月9日ロックの日に誕生。
山口県下関市にて生まれる。
生後直後、視覚障害であることが明らかになる。
3歳、光と色が僅かに認識できる視力の中、
数本の輪ゴムを空き箱にはめ、和音として弾きはじめ、
それを見た両親が音楽への興味と可能性を感じはじめる。
4歳で色が見えなくなり、視力は光格(こうかく)のみへと低下。
5歳でピアノ、8歳で琴を習い始める。
9歳、フォークギターを独学で始める。
一般の奏法を見た経験がないことから、ギターを床の上に置いて琴やピアノのように弾きはじめる。
The Beatlesなどからギターの和音を工夫しはじめる。
同時に、多重録音も覚え、コピーや作曲を行う。
12歳、ロックバンド、KISS、Night Ranger、Journey、Yesのサウンドに魅了される。
13歳、光が完全に見えない全盲となるが、精神的ダメージもなく、
同時期にエレキギターを始め、床の上に置いていたギターを立って弾けるように工夫。
これが新たな光となる。
Van Halen、Judas Priestなどから刺激を受ける。
しかし、ギターのネックの持ち方が反対であることを知った頃には手遅れで、
誤ったまま、音だけを頼りに、自身の奏法を身に着けていく。
14歳、ギタリスト成毛滋のラジオ番組「パープル・エクスプレス」でロックギターの奏法を習得。
以降、バンド活動を開始し、エフエム山口や、ヤマハのコンテストにてそれぞれ受賞を果たす。
1993年 下関を拠点に音楽活動を開始。
1994年 tysテレビ山口制作でのドキュメント番組「電撃黒潮隊」で成毛滋との対面を果たし、九州地方まで放映される。
以降、西日本を中心としたライブ活動を始める。
1995年 ギタリストによるコンピレーションアルバム「Voo Doo Doll」に参加。
同年、東京にて開催された楽器フェアに出演。
1997年 CMやイメージソング、作曲やアレンジなどのコンポーザーワークを開始。
2000年 全国ネットのラジオ番組「Heavy Metal Syndicate」にてジングルが採用される。
2001年11月 公式サイト「FretPiano(フレットピアノ)」を自身で開設。
画面読み上げ音声ソフトを装備したPCを活用しての作成。
以降、サイトを通じての楽曲配信、作曲受注、各地のファン拡大を積極的に展開。
2005年 LOUDNESSのヴォーカリスト、二井原実より田川公式サイトを通じてコンタクトを受け、
2006年2月 徳間ジャパンリリースの二井原実2NDソロアルバム「Ashes To Glory」に全面参加。
この模様が全国放送、FNNニューススピーク、NHKおはよう日本など、各メディアにて紹介される。
以降、二井原実ソロツアーや、バンド、X.Y.Z.→Aのライブゲストに参加。
2007年 中国北京にて、10万人の野外コンサートに、ファンキー末吉、二井原実と出演。
2008年 北京と韓国釜山へ渡り、ライブやレコーディングに参加。
2008年8月 テレビ局のリポーターの美瑞穂をパートナー&専属マネージャーとして、共に東京に拠点を移す。
以降、国内トップのミュージシャンとのセッションワークを開始。
2009年 2~4月、「西寺実(西田昌史、寺田恵子、二井原実)」の全国ツアーに参加。
8月 「SUMMER SONIC」、10月「LOUD PARK」に出演。
8月、「Augusta Camp 2009EXTRA」の「山崎まさよしコンサート」にゲスト出演。
11月、1STアルバム「Fly Away」をリリースし、目黒鹿鳴館にてリリースライブを行う。
2010年 数々のミュージシャンとのセッションライブやゲスト出演を精力的に行うようになる。
和佐田達彦主催により、自身初のソロツアーを開催。
10月、二井原実&ファンキー末吉によるプロデュースにて、初のシングル、「Keep Flying」をリリース。
同時に、2NDアルバムとして、山口県でのよさこいチームに提供した楽曲を集めた「男なら ~YOSAKOI WORKS Complete Best~」をリリース。
2011年 6月、山口ふるさと大使に就任。
東日本大震災を受け、チャリティCDシングル「Dear Heart/たんぽぽと風」の売上を被災地へ寄付。
7月以降、曾我泰久(THE GOOD-BYE)のライブツアーにサポートギタリストとして参加。
10月、山口国体、障害者スポーツ大会閉会式にて、陣内大蔵と共に出演。
2012年 4月、KRY山口放送のニュース番組「スクープアップ」の全ての音楽を担当。
株式会社 無洲のバックアップの元、アルバム制作を開始。
12月、3RDアルバム「アヴェ・マリア」をリリース。
下関市にて行なわれたリリース凱旋コンサートに合わせ、「好きっちゃ 好きなほ! 下関」を子供たちへプレゼント。
2013年 5月、筑波サーキットで開催された、JAFスーパーFJ選手権決勝レースにて国歌独奏。
これを機に、各サーキットでの「君が代ギター独奏」が恒例となる。
5月、沖縄 Camp Schwabでのフェスティバルに出演。
6月、4THアルバム「spring nouveau~Ave Maria~」をリリース。
9月、日本でのオリンピック・パラリンピックの招致決定により、「東京2020」の舞台を目指すようになる。
10月、5THアルバム「ようこそ田川NIGHT!へ」をセルフプロデュースにてリリース。
12月、駒沢オリンピック公園総合運動場で開催された「車いすダンススポーツ世界選手権大会」にて演奏。
2014年 2月、公式ファンクラブ「FretPiano Family」を設立。
11月、「MAZDA FAN FESTA」のCMテーマソングとして「キミを乗せて」をリリース。
2015年 3月、KRY山口放送の「KRYニュースライブ」のテーマソング、ジングル、天気予報を制作。
3月、広島県府中市の市政60周年記念に「府中に夢中」「Lofty Tree」をリリース。
7月、「がんばっぺ福島!応援の集い」に出演し、以降、毎年の参加として継続。
7月、サーキットツアーより誕生した6THアルバム「Over Drive」をリリース。
8月、「第23回世界スカウトジャンボリー」にて演奏。
10月、国立代々木競技場第一体育館にて開催された「Sport Of Heart」のオープニングセレモニーで演奏。
以降、このイベントの音楽アンバサダーを務める。
2016年 パートナー&マネージメントの美瑞穂と入籍し、
翌2017年11月 コートヤード・マリオット銀座東武ホテルにて結婚披露宴、
同日、レストランピアシス芝浦、12月には下関市Jazz Club BILLIEにてウェディングライブパーティーを行う。
これを記念した限定版CD「二人のメロディ」をリリース。
2017年 10月、7THアルバムとして、各地、各企業のテーマソングを集めた「THEME PARK」をリリース。
10月より、FMおだわらにて「田川ヒロアキ リビングギター」が開始(~2019年3月)。
11月 「MAZDA FAN FESTA」のCMテーマソングとして「Ride the Wind」をリリース。
12月 広島県呉市「LIVE & SHOTBAR CAROUSELAMBRA(ケラウスランブラ)20周年記念ソングをリリース。
2018年 二度のバンコク公演と香港公演を行う。
西日本豪雨災害、北海道胆振東部地震を受け、
「THEME PARK」の売上の一部と、企業への呼びかけにより、計60万円を寄付。
12月、山王アイセンターのパーティにて講演と演奏を行う。
2019年 東京オリンピック・パラリンピックに向けての応援ソング制作の為に渡米するべく、
クラウドファンディング「CAMPFIRE」を通じて支援を募る。
4月、ロサンジェルスへ渡り、米国ミュージシャン、エンジニアと共にレコーディングを行い「Sky」が完成。
アメリカにてプロモーションビデオを撮影。
5月、帰国報告パーティに支援者を招待し、「Sky」の初披露と上映会を行う。
8月、東京2020パラリンピック1年前イベント「Tokyo Tokyo FESTIVAL No Border“ART×SPORTS”芸術とスポーツの融合」にて「Sky」を披露。
10月、「第73回日本臨床眼科学会」(京都グランドプリンスホテル)に講演と演奏として出演。
11月、「Sky」をシングルCD、12月、音楽配信にてそれぞれリリース。
同年、視覚障碍者の為の情景認識メガネ「ダイナグラス」の技術開発顧問に就任
2020年 3月、6月、10月、NHK Eテレ「ハートネットTV B面談義」に出演。
12月、山口県立大学 社会福祉学部の客員教授に就任。
2021年 32名のアーティストが参加する、岡山ライブハウス「CRAZYMAMA KINGDOM」応援プロジェクトの総合プロデュースとして、
作曲からマスタリングを担当。
3月、NHK Eテレ「ハートネットTV B面談義」のエンディング曲「またどこかで」を作詞作曲してリリース。
5月、音楽スクール「MMRooms」のギター科スペシャル講師に就任。
同月、しものせき海響大使に任命。
山口県萩市での聖火リレーにて「Sky」を演奏。
8月、眼科医療機器メーカー「株式会社NIDEK」の創業50周年記念式典にて講演と演奏を行う。
同月、2012年の2NDアルバム「アヴェ・マリア」をリマスターし、音楽配信として限定リリース。
2021年8月24日 国立競技場にて行われた「2020年東京パラリンピック開会式」に出演。
布袋寅泰リーダーの「デコロックバンド」としてパフォーマンスを行う。
9月、日本テレビ特別番組「世界進出オーディション!めざせ!グローバルスター」に出演。
中国、アメリカ、タイ、フランス、イギリスのプロデューサーからの全オファー「Grand Slam」を獲得。
10月、日本テレビ「スッキリ」の「BUZZ-P」に夫婦で生出演。
同月、音楽配信にて、「Seascape ニューバージョン」と「Racing Star」をリリース。
2022年 2月、マツダファン・エンデュランス(マツ耐)レース公式テーマソング「Racing Star」の作曲に合わせ、
岡山国際サーキットにて撮影されたミュージックビデオを公開。
3月、広島県府中市による、全日本EV&ゼロハンカーレースのテーマソング「ZERO」を制作。
6月、フランス・カンヌでの「Cannes Lions」にて、楽曲がMVと共に上映。
10月、山口県下関市 海上自衛隊 小月航空基地 アクロバット飛行チーム「WHITE ARROWS」のテーマソングを作曲し、
防衛省 海上自衛隊 YouTube公式チャンネルに掲載。
11月、5年ぶりとなる8THアルバム「FACE」をリリース。
同時に、各地でのツアーを行う。
2023年 2月、郷里山口県は下関市民会館大ホールにて、「田川ヒロアキコンサート Music Traveling 2023」を開催。
同年、MAZDAロードスター・パーティレースIII ジャパンツアーシリーズ公式テーマソング『翔KAKERU』を、各サーキット会場とミュージックビデオにて公開。
コロナ禍規制緩和後、学校、福祉、医療機関にて、
『見える音、聴こえる景色』との演題でのコンサートや講演も再開。
2023年(魔歴 D.C.25年)、デーモン閣下 c/w D.H.C. TOUR『地球魔界化計画』に出演。
翌年、千穐楽の模様が映像作品としてリリース。
◆2024年
ZOOMハンディレコーダー「エッセンシャルシリーズ」のアクセシビリティに配慮した音声案内の開発とマニュアル作成に協力。
3月、NHKホール『True Colors SPECIAL LIVE 2024』に出演し、後日放映される。
5月、NHKEテレ『ウェルカム!よきまるハウス』に出演。
2024年9月24日 9THアルバム、新曲やサーキットでのレースイベントを集めた初のベストアルバム『THE ROAD SEEKER』をリリース。
同時に、リリース記念ツアーを開始。
10月3日、六本木 GT LIVE TOKYOにてリリース記念ライブを行う。
11月、アメリカ・ハリウッドでの国際映画祭2024で上映された映画のテーマ曲を担当。
2025年 アルバム『THE ROAD SEEKER Tour』を各地にて行う。
7月5日 山口県下関ドリームシップ海のホールにて、
『田川ヒロアキ THE ROAD SEEKER 下関凱旋コンサート2025 ~ 見える音・聴こえる景色』を行う。
同月 帝国書院出版「祭の地図 日本の祭りと伝統行事」に、しものせき海響大使として、祭りのエピソード」が掲載。
8月 下関市民会館にて、母校である旧・山口県立盲学校(現・下関南総合支援学校)の創立120周年記念としての『田川ヒロアキコンサート』を行う。
9月27~28日 EXPO 2025 大阪・関西万博「MATSURI」にて行われた「スポーツ・オブ・ハート」に二日間出演し、
開会式での国歌を織り込んだアレンジをはじめ、
バンクーバーと下関のよさこいチームと三味線との大共演、
閉会式でのフィナーレソング『Voice』を担当。
今後も、日本各地や海外へ向けた活動、タイアップソング制作、
学校、福祉、医療機関での講演、技術開発などをより一層展開し、
様々な形で音楽を届ける活動を目指す。
2025/10/2 執筆 田川ヒロアキ